2017年06月06日

ゆかりの地 巡るも時代は やや違う

前の記事に書いた江戸東京博物館を楽しんだ後に両国の町を散策しました。

公園の片隅に最初の目的地がありました
勝海舟生誕の地


勝海舟生誕之地

勝海舟幕末絵巻なるものがありましたが、残念ながらゆっくり見る時間はなく…。

後ろ髪を引かれながらもいそいそと、約120年遡り次の目的地へ。 
 
本所松坂町公園 吉良邸跡
一番の目的地はココです。
「忠臣蔵」で広く知られる赤穂浪士の討ち入りがあった吉良上野介義央の上屋敷跡。
この地で…と改めて思うと、足を踏み入れることに臆しました。
入ってすぐに真正面にいらっしゃり、ドキッとし思わず「吉良様」と心の中で呟いてしまいました。
咄嗟に「様」まで付ける私は一体どっちサイド?
横には「首洗い井戸」があり、またその隣には「吉良家家臣二十士」と刻まれた討ち入りの際に亡くなった家臣の慰霊碑がありましたが、何となく怖くて写真は撮れず、それぞれに手を合わせるのが精一杯でした。

松坂稲荷大明神
当時は2,550坪の広大なお屋敷だったそうで、この一角は80分の1程度だそうです

吉良邸正門跡
元禄15年(1702)12月14日、虎の刻(午前4時)の七つ鐘を聞いた後、正門から大石内蔵助以下23名が用意した梯子で邸内に侵入して、内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入しました。
 
ここに大石内蔵助が立ち、門を見上げた(…かどうか定かではありませんが)かと思うと、感慨深いものがありました。

一つ前の写真の地図を拡大しました。
赤枠が吉良邸の敷地で、赤い矢印が正門、黄色の星が先程の「本所松坂町公園 吉良邸跡」です。
吉良上野介が討たれたのは、赤枠の中央より上の辺りにあった炭小屋付近とされています。

吉良邸裏門跡
正門のちょうど反対側になります。
この裏門からは大石内蔵助の息子である大石主税以下24名が門を叩き壊して侵入しました。

前原伊助宅跡
赤穂浪士の1人が吉良邸の近くに米屋を開業し様子を探っていたことは知っていましたが、まさかこんなに目と鼻の先とは思いもしませんでした。
堀部安兵衛が隠れ住んでいた道場跡もここから1kmほどで、敵がこんなにすぐ近くに潜んでいたかと思うと恐ろしく、また逆にいつ吉良家の家臣に捕まるかも知れない危険を冒しながら日々を過ごしていた執念を改めて感じました。

この界隈は他にも芥川龍之介の生育の地として縁ある場所が多く、様々な分野の様々な方の歴史ある町でした。



  • mixiチェック

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
Profile

ゆん