レース
2020年04月18日
まだいたよ 奥から出てきた この子たち
主に2010年分が奥に押し込まれていました。
2010年
2周コースの部 女子第2位
恐らくこれがマラソンでの初めての表彰台だったかと。
2010年9月
女子総合 第4位、女子年代別 第2位
左から
2010年9月 越後湯沢秋桜ハーフマラソン(女子年代別 第2位)
2010年10月 調布市民体育祭(アクアサロン)(女子第2位)
2010年10月 上田古戦場ハーフマラソン(第3位)
2010年10月 手賀沼エコマラソン(年代別第6位)
左から2番目は、開催50回記念の特別デザインで目玉おやじのメダルなのです。
可愛いからこれだけは取っておこうかな、と迷ってしまいます。
右から2番目のメダルも素敵なデザインでした。
年代別 第2位
以上終了!
たぶん。今度こそ。
2020年02月25日
想い込め 走った分だけ 想いあり
これだけ載せておいて自慢したい訳ではないと言っても疑わしく思われるでしょうが、サヨナラする前の記念撮影、振り返り、備忘録の自己満足です。悪しからず。
前記事のトロフィー等も然りですが、私の人生においてこんなにメダルを頂ける日が来ようとは思いもしませんでした。
フィニッシャーズメダル達。
上段左から
2007年9月 マウイマラソン
2007年12月 ホノルルマラソン
2008年2月 東京マラソン
2008年6月 済州(チェジュ)マラソン
2008年12月 那覇マラソン
2010年2月 東京マラソン
2010年3月 ソウル国際マラソン
2011年3月 ソウル国際マラソン
2015年3月 ソウル国際マラソン
2016年2月 東京マラソン
2016年7月 ゴールドコーストマラソン
走り始めの頃は完走できるだけで感動し、フィニッシャーズメダルがとても嬉しかったものですが、徐々に記録を狙いやすいレースに出るようになり、そうするとフィニッシャーズメダルがないことが多くなりました。
そしてたまに頂いてもぞんざいな扱いに…。
ソウル国際マラソンは2010年以降6年連続エントリーしており、1回はDNSしたので良いとして、メダルがあと2個あるはずなのにどこへやら。
ちなみにソウル国際マラソンは、レース後にパンや飲み物が入ったビニール袋にメダルも入れられぞんざいに渡されます。
入賞メダル達。
上段左から
2011年5月 みしま西山連峰登山マラソン大会(第3位)
2011年7月 富士登山競走
(五合目コース 総合女子の部 第3位 ×3個)
下段左から
2011年10月 甲州フルーツマラソン(大菩薩コース 女子の部 第1位)
2011年10月 手賀沼エコマラソン(年代別 第4位)
2011年11月 上尾シティマラソン
あれ?ここでまたメダルが足りないことに気付きました、2010年の甲州フルーツマラソンの金メダル…。確か2連覇だったはず。
2011年11月の上尾シティマラソンは、私にしては珍しく走れている感覚があり、最後まで押し切れた手応えのあるレースでした。
左から
前記事のトロフィー等も然りですが、私の人生においてこんなにメダルを頂ける日が来ようとは思いもしませんでした。
フィニッシャーズメダル達。
上段左から
2007年9月 マウイマラソン
2007年12月 ホノルルマラソン
2008年2月 東京マラソン
2008年6月 済州(チェジュ)マラソン
2008年12月 那覇マラソン
2010年2月 東京マラソン
2010年3月 ソウル国際マラソン
2011年3月 ソウル国際マラソン
2015年3月 ソウル国際マラソン
2016年2月 東京マラソン
2016年7月 ゴールドコーストマラソン
走り始めの頃は完走できるだけで感動し、フィニッシャーズメダルがとても嬉しかったものですが、徐々に記録を狙いやすいレースに出るようになり、そうするとフィニッシャーズメダルがないことが多くなりました。
そしてたまに頂いてもぞんざいな扱いに…。
ソウル国際マラソンは2010年以降6年連続エントリーしており、1回はDNSしたので良いとして、メダルがあと2個あるはずなのにどこへやら。
ちなみにソウル国際マラソンは、レース後にパンや飲み物が入ったビニール袋にメダルも入れられぞんざいに渡されます。
入賞メダル達。
上段左から
2011年5月 みしま西山連峰登山マラソン大会(第3位)
2011年7月 富士登山競走
(五合目コース 総合女子の部 第3位 ×3個)
下段左から
2011年10月 甲州フルーツマラソン(大菩薩コース 女子の部 第1位)
2011年10月 手賀沼エコマラソン(年代別 第4位)
2011年11月 上尾シティマラソン
あれ?ここでまたメダルが足りないことに気付きました、2010年の甲州フルーツマラソンの金メダル…。確か2連覇だったはず。
2011年11月の上尾シティマラソンは、私にしては珍しく走れている感覚があり、最後まで押し切れた手応えのあるレースでした。
左から
2012年3月 千葉県民マラソン大会(ハーフマラソン女子の部 年代別 第2位)
2012年5月 みしま西山連峰登山マラソン大会(ハーフマラソン一般女子の部 第2位)
2012年6月 乗鞍天空マラソン (女子の部 第3位)
2012年10月 手賀沼エコマラソン(年代別 第1位)
2012年11月 世田谷246ハーフマラソン(陸連登録者女子 第2位)
大体2位(笑)
どこのレースにも大体ホンモノがおり、相手は競ることなくダントツでした。
私ごときが2位なのは単なる幸運。
2012年7月から2013年6月までブログを休止しました。
実はその理由はこういった表彰写真の掲載が発端でした…。
2013年10月 手賀沼エコマラソン(年代別 第1位)
2014年9月 浦佐温泉耐久山岳マラソン大会(2周の部 第1位)
2014年6月 乗鞍天空マラソン(女子の部 第2位)
2016年6月 東日本大震災復興支援ラン 品川・大井大会(ハーフマラソン 女子の部 優勝)
2015年の函館ハーフマラソンは、自己ベストには及ばずも久々に押すことができこの数年で一番手応えを感じ、何より走れることが楽しくて。
今年こそサブスリー奪還!自己ベスト更新!と心に強く誓ったのでした。
でも、まさかこれが自分の良い走りの最後になろうとは。
この後、悪夢が待っていました。
時を戻せるならやり直したい…などと願うは不毛。
と自分に言い聞かせつつ、サヨナラ私。
過ぎたことに気を煩わせるな。
ありがとう、あの時の自分。
今を楽しんで生きるべし。
2012年5月 みしま西山連峰登山マラソン大会(ハーフマラソン一般女子の部 第2位)
2012年6月 乗鞍天空マラソン (女子の部 第3位)
2012年10月 手賀沼エコマラソン(年代別 第1位)
2012年11月 世田谷246ハーフマラソン(陸連登録者女子 第2位)
大体2位(笑)
どこのレースにも大体ホンモノがおり、相手は競ることなくダントツでした。
私ごときが2位なのは単なる幸運。
2012年7月から2013年6月までブログを休止しました。
実はその理由はこういった表彰写真の掲載が発端でした…。
2013年10月 手賀沼エコマラソン(年代別 第1位)
2014年9月 浦佐温泉耐久山岳マラソン大会(2周の部 第1位)
2014年6月 乗鞍天空マラソン(女子の部 第2位)
2016年6月 東日本大震災復興支援ラン 品川・大井大会(ハーフマラソン 女子の部 優勝)
2015年の函館ハーフマラソンは、自己ベストには及ばずも久々に押すことができこの数年で一番手応えを感じ、何より走れることが楽しくて。
今年こそサブスリー奪還!自己ベスト更新!と心に強く誓ったのでした。
でも、まさかこれが自分の良い走りの最後になろうとは。
この後、悪夢が待っていました。
時を戻せるならやり直したい…などと願うは不毛。
と自分に言い聞かせつつ、サヨナラ私。
過ぎたことに気を煩わせるな。
ありがとう、あの時の自分。
今を楽しんで生きるべし。
2020年02月24日
想い出は 処分するのも 一苦労
未だにマラソンのレースの夢を見ることがあります。
大抵はスタート直前に「全く練習していないのにどうしよう!」とあたふたしているか、走れども走れどもなかなか前に進まない夢。
でも、今朝の夢は…。
良い走りをしていました。
良く走れている時のあの押せる感覚。
もうあの感覚を味わうことはできません。
だからと言う訳ではないですが、以前から考えていた処分にようやく着手しました。
2011年7月
女子総合の部 第3位
一つの賞でこんなにたくさんトロフィーやメダルを頂いたレースは他にありません。
さすがは富士登山競走。
2011年9月
2周コースの部 優勝
前年に続いての表彰台。
…あれ? 前年のトロフィーはどこへ行った?
…あれ? この後の2回目の優勝トロフィーはどこへ行った?
2012年3月
一般の部 第3位
結果的に生涯ベストタイムとなったレース。
もっと走れたと思います。
やはり走れる時に走っておくべきでした。
2012年9月、2014年9月
2012年 総合 第2位、陸連の部 第1位
2014年 総合 第3位、陸連の部 第1位
2012年10月、2014年10月
2012年 女子総合 第4位
2014年 女子総合 第5位
2014年11月
ハーフの部 女子年代別 第2位
2016年4月
年代別 第2位
この躍動感のあるトロフィーは好きでした。
入賞していてもレース内容は不甲斐なく苦い想い出のものも多々ありますが(むしろ思うように走れたレースの方が希少…)今となってはそれも思い出。
こんな私でもこんなにたくさん頂けたなんて。
ご指導、応援してくださった皆さん、ありがとうございました。
この後、箱や梱包材をリサイクル紙と段ボールに分別したり、リボンや袋などを可燃とプラスチックに分別したり一苦労でした。
2017年02月27日
30km 東京観光 楽しんだ!
先日、某一流大学に合格する夢を見てそれは逆夢らしいということを書きましたが、その時に東京マラソンのことも頭を過ぎりました。
でも記録を狙うレースではなく勝負事ではないので大丈夫!と思っていましたが、逆夢が正夢になってしまったかしら。
…んん? 何だかややこしい(笑)
先の記事に書きましたが、東京マラソンは30kmでやめました。
7、8km付近でトイレに行きました。
昨年7月のゴールドコーストマラソン然り、トイレ対策がうまくできなくなりました。
現地に着いて数十分並びまずトイレ、ウォーミングアップ後もスタート地点に行く前に数十分並びトイレに行っているのにも関わらずです。
スタート地点での防寒対策が甘いかな。
贅沢を言うと気温がやや高めだったかも知れませんが、晴天で寒すぎず暑すぎず風もほほぼなく絶好のレース日和でした。
10km以降は脚の痛みとの戦い。
気を紛らす為にスライドする反対側のコースから知人を探しました。
サブスリーを目指している知人女子数名を見つけた時は、自分がその土俵から落ち戻れずにいることに悔しさが込み上げてきました。
でも思わず口から出た「頑張れー!」の言葉。
心身共に腐ってしまった私ですが、まだ心根までは腐っていない?と少し安堵したり。
気晴らしに給食のミニトマト、みかん、パン、パウチパック型ゼリーに手を付けました。
こんなに頂いたのも久し振りです。
エネルギー不足ではないので不要でしたが少し元気になりました。
30kmでリタイヤし直接手荷物預かり所へ向かわず、少し遠回りしゴール手前の42km地点へ向かいました。
ランニングウェアで有楽町から丸の内エリアを歩いていくのは恥ずかしいですね。
寒くなり救護所で頂いた防寒対策のアルミシートを羽織ったのですが、これが却ってあたかもゴールした選手かのようで、応援の方に度々「お疲れ様!」と声をかけて頂いてしまい恐縮でした。
その付近でサブスリーランナーを待ちました。
届きそうなのに届かない…。
女子のサブスリーはやはり厳しいのですね。
かつて自分が達成したことが奇跡のようで。嘘のよう。
その当時はそれはまだ通過点のつもりだったので、そこに至るまで苦しくはありましたがその凄さが今ひとつ分かっていませんでした。
今は自己ベストや練習記録を見ると自分で速いなー、凄いなーと思ってしまいます。
自分でそう思うなんてバカみたいですが、自分のタイムではないように感じどこか他人事。
そう思っている内は復帰できそうにありませんね。
ゴールまでの丸の内エリアのコースが今までよりかなり狭くランナーが集中した時に混雑しないか心配になりました。
ゴールから歩き出し途中で2時間40分、50分くらいで走ったと思われるランナー達と合流し、当然ながら皆さん完走メダルや完走タオルを手にしており今更ながらやや敗北感。
ゴールから手荷物預かり所までは1km程の距離があり、42.195km走った後の脚には堪えるでしょう。
選手専用エリアを抜け途中からは一般の道を一般の方と共に歩きます。
家族や知人と今までより早く合流できますが、手荷物預かり所は2km強の間で数カ所に分かれ選手同士の合流に時間がかかるようになりました。
そして手荷物預かり所は空の下。
雨が降ったらそこまでの道のりもそこで荷物も…と思うとちょっとげんなりします。
手荷物預かり所に着くとスタッフの方々が拍手で迎えてくださり何とも肩身が狭く逃げるように会場を後にしました。
東京マラソンは本当にたくさんの方々に支えられていますね。感謝です。
そしてスイムとランチを済ませてもまだ少し先の通りに制限時間ギリギリまで粘って走るランナーが目に入り、やるせない気持ちになりました。
走っている時は割り切り迷いなくリタイヤを決断できたのですが、喉元過ぎれば何とやら、じわじわと悔しさが込み上げてきます。
練習を重ねられる脚を取り戻し42.195kmを走れる脚作りをしたいです。
東京マラソンEXPOで頂きました。
箱根駅伝2連覇の大学の、新時代を築いたあの監督のお言葉。ありがたや~。
ウェアに貼ろうと思い忘れてしまったのでお守りとして大事に取っておきます。
2017年02月26日
咲かずして 今シーズンも さくら散る
脚が良くならないながらも少しは練習できていたのですが、先月のハーフマラソン以降悪化し、今月は治療に専念するもあまり回復しませんでした。
それでも準エリートとしての最後のチャンスかも知れないと思い、本日の東京マラソンには出場。
会場に向かう足はいつもよりは調子が良いかも知れないとささやかに期待しましたが、スタートして5kmで完走は厳しい状況であることを悟りました。
ゴールである東京駅に近い10km地点でリタイヤすべきでしたが、新コースを走ってみたい思いに駆られそこをスルーし大後悔(笑)
東京駅の隣りの有楽町駅の30km地点まで頑張ろうと思いましたが、遠かった…痛かった…キツかった…。
そこでようやくリタイヤ。
でも沿道からのたくさんの声援や応援が嬉しく楽しく、思わず笑みがこぼれ手を振ることもしばしば。
皆様ありがとうございました!
まさか半年に2度も骨折した昨年より走れないとは…。
これで今シーズンの記録はなし。
7月のゴールドコーストマラソンを昨シーズンと考えるか、今シーズンと考えるかにもよりますが、4年前に続きメインシーズンにフルマラソンを1本も走れずに終えることになりました。
やはりまずは未だに回復の兆しがない、原因すら分からないこの脚を治してからですね。
早々に会場を後にしプールに向かいました。
その新橋の道すがらの遠くには右から左からたくさんのランナー。
そこもコースだったとは。
私が走れなかったコースです…クスン。