ウォーキング

2017年04月17日

新選組 歩いて回る ゆかりの地 ~後篇~

次なる目的地は日野宿本陣のすぐ近くにありました。

佐藤彦五郎新選組資料館
佐藤彦五郎は新選組の隊員ではありません。土方歳三の姉が妻で、この家に歳三も寄宿していたそうです。
そして屋敷内に設けられた天然理心流の出稽古場であるには、土方歳三は勿論、近藤勇、井上源三郎、沖田総司、山南敬助、永倉新八らが集い後の新選組の母体となりました。
彼らが旅立つ中、名主として残った彦五郎の元には道場に通った数々の同志からの近況の知らせが届くので、この資料館では近藤勇、土方歳三のみならず、沖田総司、永倉新八など多くの人物からの書簡が展示されていました。
またその内容も山南敬助の死を知らせるものや永倉新八の謹慎の時のものなど彼らの心の内を思い図らされました。
その他、近藤勇から譲り受けた短銃、歳三の鉄扇、京土産など興味深かかったです。
よく目にする近藤勇や土方歳三の写真もこの佐藤家に届けられたもの。
この地域では土方歳三が注目されがちですが、新選組の中心人物を結びつけた佐藤彦五郎の資料館は見応えがあります。
また館長の旦那様からは展示物の説明に加え、大河ドラマ「新選組!」の撮影にご招待頂いた時のエピソードを拝聴することでき面白かったです。

そこから徒歩15分ほどの新選組のふるさと歴史館
建物の写真は撮り忘れましたが、新選組のみならず、当時の日野宿の様子や年表江戸から各宿場を含む大きな地図など分かりやすかったです。

そして、そこからの移動がこの日の一番の難関でした。
駅に戻り電車に乗りモノレールに乗り換え次なる目的へ向かうのは面倒なので歩くことにしましたが、2.4km歩いて30分強の道のりは思っていた以上に遠く長く…。
ジョグならすぐなんですけどね。

土方歳三資料館
言わずと知れた新選組副長・歳三の生家です。

こちらへは3月にも訪問しています。
その時の記事はコチラ

現在「歳三佩刀・和泉守兼定刀身限定公開」期間です。

土方歳三手植えの矢竹
武士になると決意を込めて植えた矢竹だそうです。

そして7分ほど歩き石田寺(せきでんじ)の歳三のお墓にお参りをし、この日の散策を終了。
墓所については先月のコチラの記事をご参照ください。

井上源三郎資料館、日野宿本陣、佐藤彦五郎新選組資料館、新選組のふるさと歴史館、土方歳三資料館、とよく歩きました。

が、合わせてたったの6km。
もっと歩いたと思ったのですが…。
ウォーキングはしんどいですね。

日野駅→0.35km→井上源三郎資料館→0.35km→日野宿本陣→0.24km→佐藤彦五郎新選組資料館→1.0km→新選組のふるさと歴史館→2.4km→土方歳三資料館→0.6km→石田寺→0.9km→万願寺



新選組 歩いて回る ゆかりの地 ~前篇~

暖かいというより暑いくらいの陽気の中、新選組ゆかりの地を歩いて回りました。

桃の花がとても綺麗で見とれていると、その奥に最初の目的地がありました。

井上源三郎資料館
新選組の副長助勤、六番隊組長の生家です。
井上源三郎は、後に登場する佐藤彦五郎に天然理心流を紹介したと言われる井上松五郎の弟で、沖田総司とも親戚関係。
出稽古用に設けられた佐藤道場で近藤勇、土方歳三らと稽古に励んでいたようです。
ご本人に関わる品のみならず、その当時のゆかりの品が数々展示されていました。

そこから歩いて5分程。

日野宿本陣
江戸時代に参勤交代などの大名やお供の者、公家、旗本、幕府役人など身分の高い方々の宿泊所として指定された家。

天然理心流佐藤道場跡碑
今の建物の建設前に敷地内にあった佐藤道場に近藤勇、土方歳三、井上源三郎、沖田総司、山南敬助らが集っていたそうです。

当初は本陣の補完的な役割を担う脇本陣でしたが、幕末期には本陣の役割を務めるようになったようでふ。

都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建築。

最上位の格式の上段の間と御前の間がありましたが、明治時代に移築されたそうです。

佐藤彦五郎はここを本陣兼自宅として使っていたそうです。

歴史に詳しくありませんが、彼らのように20年近い歳月を共に過ごし活躍した人物が他にいるのでしょうか。

日野駅→0.35km→井上源三郎資料館→0.35km→日野宿本陣



2016年02月07日

言は体を表す

ジョグに出たものの脚が重い訳でもないのに何故だか気が重く、気付くと途中からウォーキングになっていました。
でも歩くのも悪くなく、最近その楽しさも少し感じられます。
もうランナーもジョガーも卒業かな。いやいや時々歩くから楽しいのです。

image

静かで落ち着いたカフェでホッとひと息。

手を怪我した時に、それを見た方々の言葉は実に様々でした。
その中で、
メさんは「もう若くないんだからマラソンなんてやめたら〜」
タさんは「歳なんじゃない?」
ボさんは「俺みたいに何もしない方が良いんだよ」
と発したそれぞれの方は、皆同じような体型。
運動をしている方、していなくても健康に気を使っているように見える方々は、体型もスリムですが言葉もスリムで、逆にはっぱをかけられたくらいです。
名は体を表すと言いますが、言葉は体を表すように思えます。
あくまで私の個人的な印象なので悪しからず。
言葉は発した方が実現すると言いますが、同じように発している言葉に行動も沿っていくのですよね。
かく言う私も手を怪我した後に、塞ぎ込んでいたらすっかり太ってしまいました。
日々の運動もまずはダイエット目的。
でもいくら体を動かしても食欲を抑えられないとイタチごっこ。
逃げようと思えばいくらでも逃げ道があり、進もうと思えばいくらでも進むべき道があります。
何をするにも自信がない、不安だらけ。
でも進むしかないから、いえ、進みたいから、前向きな言葉を呟き上を向いていこう。

2016年01月02日

万葉さんぽ

♪歩こう 歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう

歩くのはあまり好きではないですが、身体を動かさないと…と重い腰を上げ歩き出すと、ジョグシューズなら歩きやすく歩くのも少し楽しく思えました。
Viva ジョグシューズ!
頑張ってどんどん行こう。

…ウォーキング、そしてジョグの日々が続きそうだから、ジョグシューズを新調しようかな。

歩いていると、趣きあるこんな小道に出ました。


梅の花が数輪咲いていました。

歴史あるこの門。

境内には至る所に、植物の名前とそれにまつわる万葉集の歌が書かれた札が立っていました。
右手は「はなたちばな」、左手は「たちばな」の歌です。
右手の歌は
「わが屋前の花橘の何時しかも 珠に貫くべくその実なりなむ」
私の家の庭の花橘はいつになったら、玉に通せるようにその実がなるのだろう、と恋の実りを願っていたようです。

「橘の蔭ふむ路の八衢に ものをぞ念ふ妹に逢はずて」
橘の木陰を踏む道が八方に分かれるようにあれこれ思ってしまいます、貴女に逢えずにいると、という歌意。

65年程前に当時のお寺の住職さんが10年ほどかけ「万葉集」に詠まれている植物を集め「万葉植物園」が造られ、万葉関連の植物が約160種ほどあるのだとか。
なでしこは
「野辺見れば瞿麦の花咲きにけり 我が待つ秋は近づくらしも」
野を見るとなでしこの花が咲いています。私が待っている秋が近づいてきたようです、という意味だそうです。

寒さに負けず一輪咲いていました。



2015年12月31日

手と心の骨折

昨夜は久し振りに父とテレビを観ながら談笑。
こういう時間も大事ですね。
そもそも誰かとテレビを観ながら話すこと自体が久々だったように思います。
この一年の出来事を振り返るテレビ番組の某家具屋さんのお家騒動を見ながら、父がおもむろに
「お前とお父さんはこうならなくて良かったな」と。
確かに!
お金も権力もなく奪い合うものがないですから(笑)
幸せなことですよね!

いつぞやのランチ。

先日、整形外科での2度目の診察の際に手の包帯の巻き方が上手と褒めて頂き、一人で片手で巻いたと言ったら驚かれました。
最初は大変でしたが、1日2回、3日目ともなると手慣れてきました。
こんな時に1人だとやはり何かと不便を感じ先々のことを考えましたが、何とかやるしかないと何とかやれるようになってきます。
両親が怪我をしないかいつも心配していましたが、この1年は私が怪我ばかり。
両親の分を私が請け負っているのかも知れないと思いましたが、親にしてみたら迷惑な話ですね(笑)

先週、心が潰れるような出来事がありましたが、怪我をしてからそのことをあまり考えなくなりました。
この怪我はその痛手を忘れる為の更なる痛手だったのかな、と。
まぁそれにしては大き過ぎる代償ですが(笑)
調子が上がってきた矢先の左足首の剥離骨折。
それが良くなり練習を再開した矢先のプチ故障。
それが良くなり練習を再開した矢先の今回の左手の骨折。
それもこれも何か意味があることなのかな。
やっぱり神様は私が走ることを止めようとしているのかしら…。
転びそうになった時に咄嗟に足が出なかったことも、転んで手をついただけで骨折したこともショックでした。
少し前ならそんなことはなかったように思えます。
足首を捻った時も少し前なら剥離骨折までには至らなかったと思います。
やはり加齢のせい…なのかな。
こんなことを書くと私より年上の方には怒られそうですが、そうは言っても比較の問題ではなく、徐々に感じるものは感じてしまうのです。
骨が折れても心は折れないよう踏ん張ろう。
ウォーキングくらいはできそうですが、気が乗らずダラダラ6km歩いただけでした。
走るけど、歩くのはあまり好きでないのは何故でしょう…?


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